つれづれ

日記。ディズニーのこととか、コーヒーのこととか

よっかめ

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/spv/1807/04/news106.html

「スラム街の暮らしを肌で感じたい!」学生企画に批判 → クラウドファンディング中止に 支援者には全額返金へ

 

ねとらぼの記事より。

炎上の流れはなんとなく追っていたのだけど、つくづく残念だと思った。なにがって、こんな残念な企画を生み出した学生たちにではなく、こんな残念且つ若い青二才の企画をいとも容易く潰してしまった「炎上」という現象に。そしてそれに叩き潰されてしまった学生たちに。

 

多くの人がもう既に指摘していると思うけど、彼らの企画は本当にお粗末。元ページを見たとき、そもそもなぜ集めたいのは25万円なのか、なぜその25万円は自分たちで集めることができず、クラウドファンディングという形を取ったのか、なぜ敢えて選んだのはマニラのスラムだったのか、まるで書かれていなかった。だが、企画を「実行しようとした」ことには敬意を表すべきではないか。自己陶酔に満ちた、おふざけで始めたことだったかもしれないけれど、彼らはたしかに募集ページを作り上げ、そして実際16万円という金額を集めた。それはすばらしいことである。もう少し頑張れば、きっともっと賛同者は集まったはずなのに。

 

 

タラ・ウィンクラー TED

『孤児院が栄える時代を終焉させるべきなのはなぜか』

f:id:mil-ik:20180704232018p:image

彼女はTEDで、支援していた、救っていると信じていたことが、実は腐敗と堕落のループに繋がっていることに途中で気づき、愕然としたと話す。

世界にはさまざまな考え方があり、困っている人たちを救いたい一心で現地に行ったところで、彼女のように本当に現実を見据え、挫折を乗り越えて新たな道を探せる人がいれば、現実に気づかないまま、自分は正しいことをしていると信じて腐敗の道を突き進んだり、挫折してしまう人だってもちろんいる。

 

だから、道のりは沢山あっていいと思う。なにが正しいかなんて誰にも分からない。正攻法だけがうまくいくなんてことは絶対に無い。遊び半分で始めたことが、誰かを幸せにするための一歩になるなら、それは素晴らしいことじゃないか。今回は炎上してしまったクラウドファンディングだけれど、きっともし実現していたら、成功するか否かはともかく、彼らは現実を見て、知って、なにかもっと行動したいと思うかもしれない。その為に集まった16万円を、炎上に恐れをなして手放してしまったことは、本当に残念で仕方ない。

 

『日本人は汗水流さずお金を集めることを嫌う』なんて、よく皮肉で使われるけど、今回も結局はそんなことなんだろうか。簡単には言いたくないけれど、もしも彼らのクラウドファンディングの説明文がもっとしっかり現実を見据えたものだったら、もしかしたらこんな残念な結果になっていなかったかもしれない。でも、別にしっかりしてなくたっていいじゃない。それを気にくわないと思う人もいれば、面白いと思う人もいる。私たちは、マイナスのことばに耳を傾けすぎだ。もっと楽しく生きたいものである。だれか、なんかそういうマイナスのことばが自動的に面白くなるひみつ道具とか作ってくれないだろうか。ものごとはもっとポジティブで、楽観的でいい。